やけくそ気味に、毎日ブログ更新してます。
コロナの症状は昨日とたいして変わりありません。
あいかわらず37.5度前後の熱があるし、夜になると38.3度くらいに上がるのね。
痰の絡んだイヤな感じの咳も続いています。身体の節々も痛むし、頭痛もするし。
ただし、食欲はふつうにある。
まさに食っちゃ寝食っちゃ寝状態。
コロナ快復後の体重を考えるとおそろしい。
さて、本日のブログのお題。
昨日に引き続き、ワールドカップサッカーアジア予選の昔話を語ろうと思います。
今でこそ、ワールドカップのアジア予選突破なんてごく当たり前になっていますが、昔はぜんぜん違っていました。
とくにJリーグ発足前の(Jリーグ開幕は1993年)、サッカーファンの絶望的な気分は、当時を生きた者でしか理解してもらえないでしょう。
今回取り上げるのは、1990年イタリアワールドカップのアジア予選です。
このときの予選方式は以下。
1次予選
25チームを4または5チームずつ6組に分け、各組でホーム・
アンド・アウェーの2巡の総当たり戦を実施。
各組1位のチームが最終予選に進出する。
最終予選
進出した6チームが、シンガポールでの集中開催方式で1巡の
総当たり戦を実施。
上位2チームが本大会出場権を得る。
そして日本は、1次予選でグループ6に振り分けられ、計6試合を戦いました。
ご覧の通り、日本は勝ち点で北朝鮮を下回り、1次予選であっけなく敗退。
グループ6の最大のライバル(いちおう)とみられた北朝鮮とは、ホームで勝ち、アウェーで負けと五分の戦績だったのだが、その他の試合がね。
なんと香港、インドネシア相手に1勝3分けという成績。
詳細な試合結果は覚えていませんが、なんともはや・・・(ちなみに現在のインドネシア代表は強化されてて、けっして侮れない存在だが)
そしてここからが肝心です。
1次予選の各グループ1位6カ国で総当たり戦となったアジア最終予選。
結果は以下。
そう、日本を抑えて最終予選に進出した北朝鮮は、6カ国中なんと最下位だったんですね。
最下位の北朝鮮に負けた日本て、どんだけ弱いんだよ。(ちなみに中国はふつうに最終予選進出してますね)
これだけでも絶望感は凄まじかったのですが、まだ続きがあります。
1990年イタリアワールドカップ本大会です。
最終予選を突破し、アジア代表として本大会に出場したのは、韓国とUAE。
なかでも韓国は余裕綽々の予選突破で、じつはこのとき本大会でも良い成績を残すのでは? と注目されていました。
アジアでは飛び抜けた戦力と安定感。前回大会でグループリーグ敗退したものの、アルゼンチンやイタリア、ブルガリアに善戦(グループリーグ全試合でゴールを記録)した自信。
そしてなにより、前回大会のメンバーに加え、韓国にはキム・ジュソンというスターがいました。
いや、いまから考えると、キム・ジュソンの何が凄かったのかさっぱり分からないんだけれども。
当時はね、韓国選手にはめずらしいパツキンのロン毛で、とっても眩しく見えたんだよ。
それでワタシもね、べつに韓国を応援していたわけではないんだが、なんとなく韓国はいい線行くんじゃないかと思っていました。
ちなみに本大会で、韓国が入ったグループリーグの相手国はというと、ベルギー、スペイン、ウルグアイの3カ国。
冷静に考えたら、この3カ国相手にグループリーグ突破なんて無理やろって思うんだけど、やっぱり韓国チームを含め、みんな冷静じゃなかったんだろうね。
グループリーグの結果は以下。
韓国は勝ち点すら取れず、惨敗しました。
初戦のベルギー戦は、スコアこそ0-2でしたが、それ以上に力の差を感じる内容。天才シーフォに好きなように弄ばれていましたね。
第二戦のスペイン戦は、レアルマドリーのミッチェルにハットトリックを献上、1-3の負け。
最終戦のウルグアイ戦では、なんとか勝ち点1をもぎ取ろうと、韓国は必死こいて守りに守りましたが、最後の最後ロスタイムにフォンセカに決められ、0-1で負け。
この結果は、韓国はもちろんショックだったでしょうけど、ワタシたち日本のサッカーファンにとっても、悪夢としか言いようがなかった。
日本代表チームがワールドカップ本大会に出場することなど、まして本大会で活躍することなど、自分が生きている間に実現することはないだろうと、そう思いました。
そうそう、このとき韓国ともう1カ国、アジアから本大会に出場したUAEはどうなったかというと、
コロンビアに0-2、西ドイツに1-5、ユーゴスラビアに1-4と、これまた3戦全敗。
虚ろな笑いを浮かべながらテレビ見てました。(当時はサッカーオタクだったので全試合テレビ録画して観戦しましたよ)
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