コロナの症状ですが、なかなか良くならないですねー。
夜中からまた熱が高くなったみたいで、頭も痛いし、かったるいし。
今日は昼過ぎまでほとんど寝てました。
まさに生ける屍だったのですが、夕方ごろにようやく改善の兆しが見え、動く気力が湧いてきました。
さっき熱を測ったら、37.3度でしたね。
まあ、発症してまだ3日だし、気長に回復を待ちますわ。
ところで世間では、ワールドカップサッカーのアジア最終予選が行われていますね。
日本代表チームはというと、初戦はホームに中国代表を迎え、7-0の圧勝。
第二戦も、バーレーン代表を、アウェーにもかかわらず5-0で粉砕。
すごいですね。強すぎですね。
いまの若いサッカーファンにとり、中国やバーレーンに勝つなど当たり前のことなのかもしれませんが、昔はそうではなかったのですよ。
そんなわけで年寄りの昔話をひとつ。
1987年10月26日、東京・国立競技場でおこなわれたソウル五輪のサッカーアジア地区予選最終戦。
忘れようったって忘れられない試合です。(ワールドカップではなくオリンピック予選ですが)
このときの日本代表チームは、この最終戦に勝つか引き分ければ、オリンピック出場が決まるという状況でした。
ちなみに最終戦の相手は中国。(当時の五輪代表は現在のように年齢制限はなくフル代表であった)
20年ぶりのオリンピック出場に王手をかけたことで、めずらしく全国的にも盛り上がってました。
現在とはちがって、サッカー人気などさっぱりだった時代です。
自分もね、そこまでサッカーに詳しいわけではなかったけれど、いくらなんでもホームで引き分けるくらいはできるだろうと並々ならぬ期待をもって、テレビの前に陣取っていたんです。
ところが、結果は0対2で日本の負け。
あっさり、ごくあっさりと期待を裏切ってくれました。
なによりショックだったのは、スコア以上に実力の差を感じたこと。
中国のほうが強かったんです。
このときの悔しさというか屈辱といったらなかった。
年寄りのサッカーファンで、この試合がトラウマになった人は、けっこう多かったんじゃないかな。
その後も、イタリアワールドカップの一次予選で北朝鮮に呆気なく負けたりと、日本代表チームの低迷は続きました。
当時の日本は、アジア各国から、
「おまえらサッカー弱えなぁ~」
と、哀れみや嘲笑の目でみられていたと思うんです。
悔しかった。本当に悔しかった。
そんな弱っちい過去の日本代表チームを知る者にとって、現在の状況はちょっと信じがたいことです。あれから37年も過ぎているとはいえ。
ほんと、日本のサッカーは強くなったよ・・・(しみじみ)
以上、年寄りの戯言でした。
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